【11万人目の】革命ごっこ【参加者です】

趣味者界のはじっこに立つこと3年。まだまだサヨク本収集は続きます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

半島に魂を売った教授たち

日本、1989年に初めて地図に竹島と表記
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65130&servcode=200§code=200

-引用開始-
17世紀中盤から1988年まで、日本政府が作成した各種官認地図に独島は1つも記載されていなかった。これは世宗(セジョン)大学日本語学科の保坂裕二教授が30日に発売した月刊ネクスト7月号「日本官認地図に独島はなかった」という寄稿文とともに掲載した関連地図を通じて明らかになったもの。

これは独島(竹島)が長い間自国領土だったとする日本側の主張が虚構であることを立証する有力な資料になるものとみられている。
(中略)
保坂教授は、日本政府が1989年に入り、竹島(独島)を全国地図に入れ始めた理由について「82年、国連が採択した『国連海洋法条約』(領海は12海里、排他的経済水域を200海里と規定した国際的合意)を念頭に置いた措置で、海洋領土を拡張しようという帝国主義的動きの一環だ」と主張した。
-引用終了-

保坂裕二教授は韓国に帰化した日本人教授です。いいですなー、ウリナラマンセーしてれば地位は安泰なんだから。地図に載ってたかどうかで領有権が決まるなんてことは無いです。勝手なルールを作ってオ○ニーしないで下さい。

続きまして、出ましたわれらがケニー浅野教授です。

〈月間メディア批評-上-〉 ワンサイド「観戦」した村上龍氏の独善記事
http://210.145.168.243/sinboj/j-2005/05/0505j0701-00001.htm

-引用開始-
「胸に日本企業のバッジをつけ、VIPというIDパスを握った一団」が日本ベンチ裏のスタンドをはじめ、あちこちにいたことを村上氏は書かない。「北朝鮮」の観客が多数いて、声援を送ったということになる。まったくのでっち上げ記事だ。

 朝鮮ベンチ裏のスタンドにはタイ駐在の韓国人の姿もあった。日本代表の青シャツを着た人も含め日本人も多数いた。

 バンコクにある朝鮮大使館関係者が数十人いたがスタンドのごく一部だった。朝鮮からバンコクに来たのは選手とコーチ2人だけだ。平壌の報道機関からも1人も来ていない。
-引用終了-

浅野教授はパチンコ成金で有名なリハンジェの親父が日本からやってきてスタンドで観戦していたことを書いていないので村上氏に文句をつける資格はありません。

-引用開始-
日本はバンコクでの日朝戦を金で買ったという疑いのあることを示す新聞記事があった。6月9日の産経新聞(東京)朝刊だ。「サッカーW杯最終予選 協会、好アシスト チャーター便など環境整備」という見出しの記事は次のように書いている。

 「チャーター便に専属コック、入念な下見と環境整備-。W杯最終予選で日本代表を支えたのは、日本サッカー協会の手厚いサポートだった。…移動時間の短縮に選手は気も使わずリラックスできた。イラン選前のドイツ合宿に向かう機内で、FW大黒は選手専用のビジネスクラスからエコノミークラスの4席が並ぶシートにきてストレッチ運動をしていた。

 安全な日本食を提供するため、イラン遠征に2人、連戦となる今回の中東・タイ遠征には3人の日本人コックを帯同。宿泊ホテルの調理場の一部を使って食事を作り消耗が激しい選手を支えた」

 FIFA管理のゲームで、両チームの待遇は同等でなければならないのに、日本は超一流のコンラッド・ホテル、朝鮮はビジネスホテルのラディソン・ホテル。飛行機も朝鮮はエコノミー。「ボールの前では平等」がサッカーのよさだったのだが、日本は金と人を総動員した。
-引用終了-

将軍様に頼んでいいホテルとってもらえばよかったんじゃないでしょうか。終わったことをいつまでもグチグチ言ってるところが非常に朝鮮的です。そもそもピョンヤンで火病を起こして審判の現金を取り上げたりしたからこうなったのであって、日本に因縁をつけるのは筋違いも甚だしいですな。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kakumei.blog2.fc2.com/tb.php/250-a13fb1fa
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。